よく聞かれる質問


第1位『ワッキー貝山さんって吉本興業のペナルティのワッキーとどのような関係?』

A, 全くの別人です(笑)、最近正直間違えられます(汗)でも私のほうが先に名乗っております。というのも、ペナルティさんは、半年先輩になるのですが、結成当時は名乗っておらず、脇田脇田と言われておりました。最近、ツッコミのヒデさんにも慰められております。持論!全国に何人いたっていいじゃないか!皆でワッキー同盟を作ろうじゃないか!仙台で「ワッキー」と言えば私!になるよう頑張ります。


第2位『ワッキー貝山のワッキーって何ですか?』

A, ワッキーって本名です。私、本名は、貝山和季(カイヤマワキ)って言います。それを外国人読みにして、ワキ 
カイヤマ〜!それで付けました。その後、『wacky』という英語スラングがある事を発見!東京ディズニーランドで
ドナルドが主役の『ワッキ−キングダム』というお祭り。それで、英和辞典で調べたら、『wacky』=『はちゃめち
ゃな、破天荒な』という意味がある事を知り。より今の俺にピッタリ。それにしても、こんな名前をつけた、両親、恐るべし!


第3位『ワッキー貝山って吉本興業にいたの?営業?』
A ,いました。1994年に!営業?いや〜いっぱしの芸人でしたよ。『ワッキー貝山』の名で今は無き銀座7丁目劇場でピン(1人で)芸でやっていました。私の同期は、モリマンとダイノジ。もう良い感じで皆スターになってますね。私
は、無名中の無名『トラの穴』という所にいたので(笑)彼等の活躍は刺激になってますね。その反動で地元仙台で
いろんな事やっております。東京でやっていた頃は、ナインティナインがMCでその時にデビューしました。その時は、
仙台でサラリーマンも同時にやっていたので大変でした。県外に出張に行き、そのまま直帰(会社に戻らずに帰る)
させてもらい東京に行ってました。お金がないので長距離バスで。その後、仙台で夕焼けテレビというのが始まり
(若い頃のドンドコドンが出ていました)、仙台吉本が出来るかも?という事で、仙台でやってました。その後、その話も自動的に無くなり、自分でエスパルとかと手を組み、やっていました。その後、サラリーマンをやめ。完全フリーのタレントに!さあ、又、新たな、東京進出の野望に燃えている所です。
ペナルティの「ワッキー」とは別人ですが、
知り合いです。半年ペナルティの方が先輩ですが、ワッキーと名乗ったのは私のほうが先です。

第4位『ワッキー貝山さんは何者なんですか?』

A,曲者、旬者でもありますが、本職は、仙台のフリータレントです。職種で、1番は、やはり『CMのナレーション』です。
その次が、イベントの司会。そしてTV、ラジオの出演。残念ながらお笑い、役者に関してはお仕事になっていないのが、現状です。がんばるぞ〜!

第5位『印象に残るお仕事は?』

A,この仕事を始めた時、TVCMの出演がありました。それは、『すじこ』のCM。内容は、私が山伏しの格好をして、
鬼首の山の中に作ったおおきなかまくらから、『氷温熟成すじこ』を取り出し、それを食べるというCMでした。
山伏し?とう格好も疑いを持たず、CMの撮影は進んで行きました。いざ『すじこ』を食べるというシーンになり、
ロッジの山小屋に移動しました。そのロッジは、ガンガンに暖房が効いており、『すじこ』はあけるや否やカラカラ。
絵が悪いという事で、食用ですが油を塗りました。そのテカテカのすじこを御飯と一緒に食べるのですが、『すじこ』の
CMという事もあり、すじこと御飯の対立は、4:1ぐらいでした。普通、逆だろ!それを無理無理食べ。OK〜の声!
その後監督から『はい!次右から!』『はい次上から!』仕舞いには『うしろから〜!』と結局、すじこ3本分を食べるハメに!
その後のお腹の状態は、御飯中の人もいると思うのでいいません。そんな仕事からスタートしました。いい意味で、
今の自分の方向を決めた仕事でした。その他、のどをならす音、や1人で3重奏的ナレーション(1人ではもるんだぜ)
みのもんた風。車掌さん風などのナレーションと本当にいろんな仕事やってます!